関川-直江津の遠い記憶

直江津駅
関川の河口は直江津にある。
「直江津」という地名は、ずいぶん前からうっすらとだが記憶にひっかかっている。
僕は高校のころ、埼玉県にいて、高崎線の下り列車に10分ほど乗って高校に通学していた。 乗車駅は吹上駅で、下りるのは熊谷駅。 通学につかえるのは、吹上駅発たしか7:23と7:37と7:52の3本あった。
その頃、高崎線の電車は上りは上野行き、下りは高崎とか前橋とかで、ときたま県内の籠原行きなどもあった。
オレンジと緑の湘南型の電車だったが、 ところが7:37発だけは、もうその頃には珍しかった機関車がひく黒褐色の車体で、たしか直江津行きだったように記憶している。

新潟のほうまで走る遠距離列車は1日にあまり何本もあったのではないと思う。 直江津というのは地名の語感としても独特で、とくに気になっていつか行こうとはっきり意識していたわけでもないが、なんとなし頭に潜んでいた。
それからずいぶんな年月を経て、関川の河口に行こうとして、ようやく直江津駅に来たのだった。
駅前広場は広く、駅舎もりっぱだが、人の姿はごくわずかで、活気がない。

直江津駅の線路
駅舎に入り、高架の通路に上がると、線路がいくつも見える。
もともと直江津駅は、首都圏からはるばるやってくる線と日本海沿岸を走る線との結節点で、重要な駅だった。
1987年に国鉄が分割されJRになったときは、信越本線を管理するJR東日本と、北陸本線を管理するJR西日本の境界駅となった。
2015年に北陸新幹線・長野駅-金沢駅間が延伸開業したとき、JR東日本が管理していた信越本線の妙高高原駅-直江津間と、JR西日本が管理していた北陸本線の市振駅-直江津間は、えちごトキめき鉄道へ移管され、それぞれ路線名を「妙高はねうまライン」と「日本海ひすいライン」に改称した。

それで今、直江津からは、西へ「日本海ひすいライン」、南へ「妙高はねうまライン」、東へ信越本線が走っている。
「妙高はねうまライン」の先には北陸新幹線の上越妙高駅がある。
信越本線の先には犀潟駅があり、上越線の越後湯沢駅・六日町駅方面と結ぶほくほく線が接続している。
それらの線どうしで相互乗り入れが幾種かあり、特急や快速や普通があり、乗り慣れない者にはわかりにくい。

直江津の雁木通り
駅と、河口にある港のあいだを歩く。
新しい大型商業施設がある一方で、昔からの雪よけのための雁木(がんぎ)づくりの家並みもある。

保倉川
写真は関川の右岸河口から上流の眺め。
中央の橋をくぐってきて右へ(河口方向、北へ)流れているのが関川。
写真の左(東)から保倉川(ほくらがわ)が合流している。
合流点は河口から500mほどのところ。
もともとは保倉川が日本海に直接流れていたが、洪水対策のため、17世紀に関川に保倉川が流れこむように付け替えられた。

関川の河口
前の写真の位置から振り返って、河口の眺め。
右岸にある建物はアルミニウムの工場。
河口近くまでは近づきにくそうで行かなかった(のだが、やはり道を探して行けばよかったと、あとで後悔した。)

直江津港
右岸には直江津港があって、佐渡の小木港との間に定期航路がある。
駅と港のあいだを歩いたのだが、駅にも港にも人の姿が少なかった。
気持ちがはやる風景にも行き当たらなかった。
直江津にはずいぶん前からの思い入れがあったのに、今度の旅では最後の訪問地になり、やや疲れた気分になっていて、発見を遠ざけてしまったかもしれない。
次の機会は、関川を最初にして西へ、富山に向かって河口めぐりをしてみたい。
新潟港から両津港へ船で行き、佐渡を軽くめぐって小木港から直江津港にわたってくる周遊ルートで始めるのも楽しいかもとも思った。

(2020.10)

* 図書館で古い時刻表を見て確かめてみようかと思っていたら、なんと自宅に1971年11月の「交通公社の全国小型時刻表」があった。 僕が通学していた頃より数年あとだが、発着時刻に小幅な変更はあるにしても、発着駅が変わることはなさそう。
それによると、通学時間帯の3本はこんなふうだった。
7:10 長岡行き(11:43着)列車番号723M
7:37 長野行き(12:40着)〃   327
7:59 前橋行き(09:13着)〃   925M

7:37を直江津行きと思っていたのだが、違ったようだ。
直江津行きには次の2本の普通列車があった。(ほかに急行「妙高」3本、特急「あさま」1本があった。)
13:20発 直江津着21:20 (所要8:00)列車番号335
00:20発 直江津着08:20 (所要8:18)〃   341

高校生のときの通学列車に直江津行きがあったので「直江津」の名が記憶にとどまるようになった-と思っていたのだが、どうも違うようだ。
どこから頭に入ってきたのか、手がかりを思い出せない。
街としては、僕が高校生だった頃は「直江津市」だった。
卒業して数年後の1971年に高田市と合併して「上越市」になっている。