久慈川と茂宮川-1河口から2河口へ

久慈川-地図
茨城県中央部で、久慈川(くじがわ)と茂宮川(もみやがわ)が近い距離で平行して太平洋に流れこんでいる。 ところが、もとは、久慈川が河口近くでほぼ90度に曲がって北上、その途中に茂宮川が合流して、1本の川として太平洋に流れていたのだった。
その頃の久慈川の先には、向渚(むこうなぎさ)という長い砂州があった。
1970年代に、2つの川をそれぞれに海に直行させる工事が行われ、その先端部に日立港が作られた。
川の付替工事により2つの川に挟まれるようになったところは、中の島のようになった。 久慈川河口には久慈大橋、茂宮川河口には新茂宮橋が架かり、それらをつなぎ貫いて国道245号線が通っている。 どちらもの橋から1キロもない上流に、JR常磐線の鉄橋がある。
久慈川の北は日立市(の久慈地区)、南は東海村。

日立おさかなセンター
常磐道の日立南太田icを降りて、中の島地区を走って河口に向かった。
国道245号に左折して北上し、茂宮川に架かる新茂宮橋を渡る。 まもなく「道の駅日立おさかなセンター」があって、車をとめた。
昼近い時間だし、土曜日でもあって、海鮮系の食事どころは密密密。
敷地つながりに、「すぎのや本陣」という、茨城県を根城にする和食チェーンの店があり、そこでさらっと非海鮮のランチを食べた。 夕飯は、予約してある宿で、しっかり海のものをいただく心づもり。
茨城県を根拠地にするファミレスチェーンに、「すぎのや」(坂東市)と「ばんどう太郎」(古河市)がある。茨城を背負うようなチェーンが、千葉・埼玉両県に近い内陸部にあって隣り合う2市からでてきているのがおもしろい。

久慈小学校-遠景
「道の駅日立おさかなセンター」から北東方向にある久慈小学校に向かって歩く。
崖下の道の海側には、久慈サンピア日立という宿泊・スポーツ施設がある。
それと日立港の埠頭など、大型の施設があるが、それは久慈川河口の付替にともなってあらたに造成された土地に建っている。
道は右にカーブしていっていて、正面の崖の上に、木の枝が扇形をつくっているのが久慈小学校のようだ。 ここに来る前に地図で見ていたときには、ただ河口から近くにある学校というだけの把握だったのだが、実際に来てみると、はっきり高低差があるのだった。
かつての久慈川の流れはこのあたりまで来ていたという説明を読んでいたが、なるほど、その崖下が海岸だったかと腑に落ちる。
このあたりの海岸は、2011年の東日本大震災で津波におそわれたところ。 海とほとんど同レベルにある道の駅や久慈サンピア日立は被害を受けた。 小高い崖上にある久慈小学校は無事だったろうか。

久慈小学校-校庭のけやき
崖の坂道を上がって、小学校の校庭にでる。
グラウンドの向こうに校舎がある。
大きなけやき3本が、きれいな扇形に枝を広げている。
小学校のwebページに、季節を追ってけやきの木を撮ったみごとな写真が掲載されていた。 冬は枝から空が透けているが、夏にはこんもりと葉を繁らせて、ひとかたまりの密な集合体になって写っていた。
校庭の(=この写真の)右手は海で、きりっとした水辺線が空を限っている。
造成地がなかった頃には、久慈川河口をすぐ眼下に見おろせたことだろう。
久慈小学校は1873年に開校。 1895年にここに移転してきた。 1955年に久慈町が日立市に合併して、日立市立久慈小学校となっている。
校内に「久慈資料室」というのが作られていて、学校の歴史を伝える写真や資料が展示されているらしい。 コロナ禍でなければ拝見したいところだが、今は部外者が立ち入るのはひかえざるをえない。
ここは久慈川と茂宮川の変遷を眼下に眺めてきた歴史がある。
川の先には太平洋の水平線がくっきりとある。
この学校で人生の若い時をすごせば、歴史(時間)と地理(空間)のなかに自分がどこにいるかを位置づける感覚が自然に身につくだろうと思う。
水平線は遠くを思う心、未知への憧れも誘いそう。
校庭には大きな3本のけやき。
いい学校だと思う。
行程のはじめに、この小学校の気分を味わっただけでも、もうこの旅の満足感は大きい。

日立市南部図書館
久慈 小学校から西へ数分歩くと、日立市立南部図書館がある (久慈日立市久慈町3-24-1 0294-29-1125)。
ここはもと日立電鉄線久慈浜駅があったところ。
日立電鉄線は日立市と常陸太田市18.2kmを結んで、14の駅があった。 常北太田駅から久慈浜駅までは、久慈川と並行して東に走り、久慈浜駅で北に方向をかえて日立市街方面に向かった。
1928年から77年間走って2005年に廃止された。
久慈浜駅の跡地に南部図書館ができ、その外に鉄道の歴史を説明する案内が置かれている。

日立市南部図書館-BRT停留所
今はバス・ラピッド・トランジット(BRT)が運行していて、廃線になった軌道跡の一部が、その専用道として利用されている。
図書館前にもその停留所がある。
日立電鉄線は、常陸太田市側では、JR水郡線に接続していた。 反対側は、日立駅から3キロほど手前が終点で、日立の中心地まで延伸できなかった。
BRTは今後日立駅まで届かせる計画で、かつて既存市街地に線路を新設するのは難しかったとしても、バスを走らせるのは実現しそう。

茂宮川の河口-
車を置いた「道の駅日立おさかなセンター」まで戻って車に乗る。
新茂宮橋を越えて、茂宮川と久慈川に挟まれた中の島箇所に出た。
全体がコンクリートでできた人口物で、最先端部は日立の関連施設になっていて、部外者は近づけない。
茂宮川の向こうには、やはり倉庫か工場か、大きな建物が並んでいる。
上流側に新茂宮橋が見え、下流側の河口は見えない。
久慈川のほうはフェンスや壁があるために、河口どころか水面さえ見えない。

釣りエサの自販機-
中の島区域の岸壁には、幾人か釣りをする人たちがいた。
日立丸という船をもつ釣り船屋さんがあり、その営業所の前に釣りエサの自販機があった。

久慈川の河口
車に乗って、久慈大橋を渡り、久慈川右岸にでた。
右岸は防砂林と砂浜で、さっき行った左岸のコンクリート人工物とは対照的。
防波堤に、流れ着いてきたらしきごみを拾い集めてあった。
瓶、ペットボトル、陶器、プラスチック製品などに、きちんと分別されている。
これだけの量はどれほどの期間に集まったのだろう?

久慈川の河口
久慈川右岸の防波堤から、中の島方向の眺め。
南の海の珊瑚礁のような風情で、ゆるい円形の砂州がある。
右が河口。
満潮のころには、海から波が逆流するらしいのだが、今は干満の間の時間帯で、水はゆっくりと川から海に流れていた。

久慈川の河口-東海原発
久慈川右岸の防波堤から、南方の眺め。
砂浜、防砂林、東海原発と常陸那珂火力発電所の煙突群。

ホテルニュー白亜紀からの朝日
この日は、河口から南下し、東海村を過ぎて、ひたちなか市にある磯崎温泉のホテルニュー白亜紀に泊まった(ひたちなか市磯崎町4604 tel.029-265-7185) 。
オーシャンビューで、水平線が長く弧を描いている。
海は青系にさまざまに変容しながらシワを寄せていた。
この右の方、すぐ前に灯台があり、夜、暗くなると灯りが回転していた。
翌朝6時すこし過ぎたころ、海から朝日がのぼった。

ひたち海浜公園
次の日は、また少し北に戻って、ひたち海浜公園に行った。
4月にはネモフィラが青い斜面をつくる丘は、春早い3月はじめで、まだ土がむきだしで花園の予感も感じられないが、青い空と、海と、軽い春風が、ここちよい。
緑地の向こうで白い煙を出しているのは、たぶん常陸那珂火力発電所で、その先に東海原発がある。


(2022.3)