古座川-船で河口へ散髪に

古座川の河口
紀伊半島の南端、串本町で古座川(こざがわ)が太平洋・熊野灘にそそいでいる。
写真は上流側から河口を見たところで、河口すれすれに古座大橋が架かっている。 橋の中間点ほどの向こうにポツンとあるのは九龍島(くろしま)という無人島。
川の上流に住む人が河口近くに船で散髪に来ていたという文章を読んで、風情にひかれた。 40年も前のことで、今もありそうには思えないが、探してみた。
「浅利理容所」と実名もあったので、電話帳やインターネットで調べてみたが、ない。 「浅利薬房」と「浅利釣具店」という名があったので、どちらかできいてみようとレンタカーで向かった。


河口から500mほど、浅利薬房の近くに車をとめると、川の低い堤防に立ってひと休みという感じでタバコを吸っている男性がおられた。
わけを話すと、「このへんに浅利は15軒もあって、自分も浅利」だという。でも理容所には心当たりがない。
僕が走ってきた道は、川に沿った堤防のすぐ内側の道だが、この道は半分ほどが前より広がっているという。数軒ぶん内側に、もうひとつ並行する道があり、かつてはそちらが主要道で、バスもそちらを走っていた。商売をしていたとなると、そちらの道沿いかもしれないといわれる。
母親ならわかるかもしれないと、浅利薬房から路地を入って2,3軒目だったかの男性の自宅に向かう。 おかあさんによると「池田モータースの先にあった」とのこと。 それをきいて男性も思いあたったふうで、「それなら高浜(という字)だ」という。
「連れていってやろう」と気軽にいって、軽トラックで先導してくださることになった。

古座川に沿った道
軽トラックのあとを追う。
すぐ近くかと思ったのだが、とことこと走りつづけて、道をきいた地点から(あとで地図で確認すると)約1.4km、河口からだと2kmほどもさかのぼった。紀伊半島には南端に串本町、その北に古座川町があるが、串本町を出て、古座川町に入っている。

古座川に沿った理髪所跡
池田モータースの看板がかかる家があり、車を降りる。
道で立ち話をしていた女性にたずねると、すぐわかって、そこがそうだったと池田モータースのすぐ近くの家を示された。理髪所は廃業し、お子さんがおられるが別の仕事につき、理容所の建物も建て替わっている。
さすがに40年を経てまだ続いているという奇跡はなかった。
青いドラム缶の手前に、川べりに下る坂がある。

古座川の船着き場
降りてみると船着き場がある。
向こうが河口方面。
見えている橋はJR紀勢本線の鉄橋。
左の斜面の上に理髪所があった。
上流に住む人はここに船をつけて散髪しに坂をあがったのだろう。

古座川.河内(こうち)神社
古座川を北にさかのぼる。
流れが西にほとんど直角に曲がるあたりで、川の中に島がある。 河内(こうち)神社で、島そのものが御神体。 鳥居とか社殿とか人工物がなく、清々しい。
科学的なことをいってしまうと、古座川に沿って太古のマグマ活動でできた「古座川孤状岩脈」というのがあり、この島もそうだし、このあと行った一枚岩もその一部になる。

古座川.潜水橋
また上流に行くと潜水橋。
水の抵抗を小さくするように作られている。
長い川だと、上流、中流、下流それぞれに異質な景観、暮らしがあったりする。 古座川は、上流から河口近くに散髪に行くほどに一体感がある。

古座川.一枚岩
さらに上流に一枚岩。
対岸にある道の駅のレストランで、大景観を眺めながら食事した。


* 古座川で船にのって散髪に来た人のことを書いた文章は、『街道をゆく 8 熊野・古座街道』 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1977。

(2016.5)