筑後川-昇降する橋、川を分ける堤

筑後川昇開橋 下がる筑後川昇開橋 上がる

■ 筑後川昇開橋(ちくごがわしょうかいきょう)
1935年に国鉄佐賀線が開通した。
筑後川を渡るところで、船を通すために橋の中央部が上下に動く鉄道橋が作られた。
橋の西は佐賀市(旧諸富町)、東は福岡県大川市。 1987年に国鉄佐賀線は廃止、物流が船から車にかわって船の通過も減って、この橋の役割はほとんどなくなった。
1996年に遊歩道になり、2003年には「旧国鉄佐賀線筑後川橋梁」として国の重要文化財に指定された。
ふつうには「筑後川昇開橋」といわれる。 西には「橋の駅ドロンパ」があり、車を駐められて、土産物などを売る店もある。
橋は9時から16時の間、1時間に1回、昇降する。
昇降部分の佐賀市側に昇降のための操作室があり、係の人が詰めている。 その一人の人にあれこれ話をきいているうち、「僕の学生時代の友人で、諸富町出身の福島富士郎というのがいて、岡山の大学で教えている」と何となく実名をだして話したら、なんとその人は福島くんと小学校だったか中学校だったか一緒で、今年もつい最近同窓会が会って話したばかりだという。
驚いた。
筑後川昇開橋があるのは、河口から6キロほどさかのぼったところ。
有明海は潮の干満差が大きくて、満潮時にはこの橋のあたりまで波がさかのぼってくる。
流れがはやくて操船は難しく、船が橋に衝突することもあった。

■ デ・レーケ導流堤
昇開橋のすぐ下流から筑後川の河口まで、長さ約6㎞にわたって川の中央に堤があって流れを隔てている。
有明海の干潟で知られるように、筑後川は粘っこい泥土を運んでいる。
泥土が堆積して川底が浅くなると治水に悪影響があるし、船も通りにくくなる。
位置を工夫して中央分離帯のような堤をつくり、川の左の流れを早くすると、左には泥土が堆積しなくなる。
右のほうには堆積するが、それはいいことにする。
マジックのような仕掛けだが、オランダ人技師デ・レーケの指導で1890年に完成した。
130年ほども経て、いまだに有効に機能しつづけている。

筑後川の導流堤 北端
昇開橋から土手を下流に歩いていくと、川の中央に細い仕切り線のようなものが見えてきて、導流堤の北端になる。
この日の干潮時刻は15:59と調べてあって、干潮のうちに来た。
このあたりでも干満の差は5mほどもあり、満潮時には堤は見えなくなってしまう。
(写真の左が上流。川は右に流れて河口に到る。)

筑後川の導流堤 南端
筑後川は河口付近で中津江川と分かれるのだが、分かれた2つの川の間にある中の島地形の南のはしまで車で行ってみた。 細い農道に車を置いて土手に上がると、導流堤の南端が見えた。

筑後川の導流堤 飛行機から見おろす
中津江川を西に越えると佐賀空港がある。 空港でレンタカーを返して、もう車を運転しなくていいので、空港のレストランで生ビールを飲みながら早い夕食をとる。
佐賀空港から羽田行きの便は日が沈んだころ離陸した。
左の座席に座っていると、さっき目前に見てきたばかりの導流堤が見えた。
(写真の下が河口。上方で(写真の)左に分流しているのが中津江川。分流点近くに筑後川昇開橋がある。)

(2016.4)