佐護川-山険しい対馬に平野があり(対馬1)

南北に細長い対馬を北に向かって走ると、道はほとんど山道で、3世紀のおわりころにかかれた『魏志倭人伝』に「土地は山険しくして深林多く」とあるとおりだった。

佐護平野
島の北端に近づいたあたりで国道382号線からそれて佐護港に向かうと、両側に水田があるなかを直線道路が貫いている。
その直線がとても目に新鮮で、ここまでずっとそうではない道ばかりだったと今さら気がつく。
佐護川の河口付近は、山地がほとんどを占める対馬島内にあって珍しい平野になっている。

佐護港
左岸の河口に佐護港がある。
写真では右=川から左=海へ水が流れている。(防波堤は左岸から直角に突き出ていて、川はこの防波堤の向こうを左に流れている。)
右に港があるのを防波堤とテトラポットが守っている。
防波堤の上部には頑丈そうなフェンスが設けてあるが、フェンスも波を防ぐのに効果があるのだろうか。

千俵蒔山(せんびょうまきやま)
この写真は、上の写真のさらに左を見たところで、河口対岸は千俵蒔山(せんびょうまきやま)。
山の北側に朝鮮半島を望む展望台がある。
対馬からは釜山までおよそ50km、博多港までおよそ145kmで、韓国のほうが近い。
7世紀に白村江の戦いがあってから、防人の制がつくられ、千俵蒔山には緊急事態を知らせるためののろし台が設けられていたという。

新羅国司毛麻利叱智朴堤上公殉国之碑
佐護川河口、左岸に「新羅国司毛麻利叱智朴堤上公殉国之碑」がある。
5世紀に日朝でトラブルがあったときに佐護湊で亡くなった新羅の役人を悼んで、1988年に建てられた。
その役人の名が、日本の資料では毛麻利叱智(もまりしち)、朝鮮の資料では朴堤上(パク・ジェサン)といい、石碑ではその2つの名が並んで刻まれている。
対馬を移動していると、韓国から訪れてきている人をよく見かけたし、韓国語の案内標識もよく目にする。
とくに河口ではこの水が韓国までつながっているという近しい感じがある。


(2016.5)