幡鉾川-日本最古の船着き場(壱岐1)

壱岐島の東岸、中央あたりに内海(うちめ)湾がある。
島の中央部から流れてきた幡鉾(はたほこ)川が内海湾に注いでいる。
左岸からこの河口に向かったのだが、とても近づきにくいところだった。
細い道が川をはさむ丘陵地の高いところを通っている。レンタカーのナビでは、河口へ行けるかどうかわからない。 路肩に車を置いて、スマホの地図を見ると、細い道が表示されている。 でも最初に入った小道は行き止まりで、行き過ぎたり、戻ったりして、ようやく河口に下ることができた。

幡鉾川河口
河口の両側に、木がしげる丘陵地がせまっている。
水面は静かで流れているように見えない。
対岸の木々を映して碧い。
海のほうを見ると、白っぽく光を帯びている。
行きにくい、わかりにくい所なのに、船着き場があるのが意外だった。 今は使われていないもののようで、周囲に雑草が生えているし、船を引き揚げるレールが朽ちかけている。
しっとりした、いい河口だ。

幡鉾川河口
上流方向を撮った写真。
釣り人がひとりいた。 魚釣りをする人のエネルギーはたいしたもので、こんな不便なところまで来ている。 前に東日本大震災から間もない東北の海の岸壁に大勢の釣り人がいて驚いたことがある。

原の辻遺跡ガイダンス施設 船着場ジオラマ
河口からすこしさかのぼったところに原(はる)の辻遺跡があって、国の特別史跡に指定されている。
原の辻遺跡は弥生時代の環濠集落。
遺跡より小高い丘の上に壱岐市立一支国博物館があるが、遺跡により近い現地案内所としてガイダンス施設があり、その入口前の屋外に船着き場のジオラマがある。
1996年、このあたりの発掘調査で、堤防状の石積みが2本並行しているのが見つかり、船着き場の跡であることが判明した。 堤防は、自然石を積み上げ、木材や樹皮で固めて強度を確保する、朝鮮半島から伝わった当時の先端工法だった。 紀元前2世紀、弥生中期にできた日本最古の船着き場になる。
かつては幡鉾川に面していて、川を下ると内海(うちめ)湾にいたり、そこから外界に通じていた。

原の辻遺跡 船着場あと
船着き場は、幡鉾川の流路がかわって、今は川からやや離れている。 ガイダンス施設の館内で職員にたずねると、実際の船着き場跡は発掘調査のあと埋め戻されて、位置を示すポールが立っているだけとのこと。
ポールの場所に行ってみると、水田に囲まれたなかを細い水路が通っていて、その先にあった。
水路は今の幡鉾川に向かっている。

原の辻遺跡 復元住居
住居が復元されている。
壱岐市立一支国博物館は、向こうの丘の上にある。

小島神社 干潮
幡鉾川が内海湾に流れこんだ先に小島神社がある。 ポツンと海から突き出た極小の島で、島全体が神域になっている。 干潮のときは海が割れて参道がつながり、満潮になると孤立した島に変わる。
僕が行った日の干潮は5:53、満潮は12:33。
朝食を食べてすぐに出れば参道がつながっているときに間に合うかと思ってきてみると、期待どおりに参道が島までのびていた。 両側を海面にはさまれた石ころの道をわたる。 右からぐるっと回りこむと、短い坂を上がったところに小さな社殿があった。

小島神社 満潮
寄り道をして、今日の満潮時刻の12:33を1時間近く過ぎてから、もう一度小島神社に行ってみた。
今朝渡った道はすっかり海面におおわれていた。
潮の干満の理屈を考えれば、こうしたことが起きて不思議はないが、つい数時間前にそこに行けた小島が海中に孤立しているのを目の前に見ると不思議な気がした。

(2017.12)