1 映画『ストレイト・ストーリー』-芝刈り機に乗って500キロの旅


□ 映画『ストレイト・ストーリー』

アイオワ州ローレンスに暮らす老人、アルヴィン・ストレイトが、芝刈り機に乗って、ウィスコンシン州にいる兄に会いに行く物語。
兄弟はともに頑固で、10年も前のいさかい以来、ずっと会っていない。兄が病気で倒れたと知らせがあり、弟は再会を決意する。
距離は500キロもあるのに、運転免許のない弟にとって移動手段は芝刈り機だけ。 アメリカ映画には『イージーライダー』とか『トランザム7000』とか、快速移動の快作があるが、これはのろい。 のろいのがおもしろい。

途中でいつくかの出会いがある。 自転車で追い抜いていった青年と、夜の滞在地でまた会っての会話。
「年とっていいことは?
 目も足も弱っていいことなどありゃせんが  経験は積むからな  年とともに実と殻の区別がついてきて  細かいことは気にせんようになる
それじゃ年とって最悪なのは何?
 最悪なのは若い頃をおぼえていることだ」

こんな名セリフをはきながらトコトコ走っていく。

□ アメリカ人とメカ

老人がのる芝刈り機はのろいが、老人ととてもなじんでいる。
旅に出ようと決めると、老人はまず箱状のものを作り、芝刈り機に接続して、極小のキャンピングカーにしたてた。
アメリカ人とメカの親和性は不思議なくらい。
僕がかつてアメリカを旅して、長距離バスに乗っていたときのこと。 窓からの風景を眺めていると、並行して追い抜いていくバイクがあった。10歳くらいの少年をうしろにのせた父子で、バスのどこかの席から手を振る人でもいたのか、少年が手を挙げ、父はグーッというふうに指をたてて、ニッコリ笑いかけている。 バイクとかファッションとかの広告映像にそのままつかえそうなくらいに決まっている。 かっこいい!と思ったものだった。
アメリカ映画を見ていて、車や船や飛行機のメカニックになじむアメリカ人がでてくると、しばしばこのときのバイク父子を思い出す。

□ 日本史の車

司馬遼太郎は国内、国外を移動して、『街道をゆく』という名紀行文を残した。
京都の北部を旅したとき、悪路で、乗った車が舟のように揺れた。 それで、古代のローマや中国が、戦車を通すために堅牢な道路をつくったことを思い浮かべ、それに比べて日本の道路の粗雑さをいう。
「車といえば王朝のころは貴族は牛車(ぎっしゃ)で都大路を往来したが、しかしひとたび旅をして地方へ出ると道中車を用いることがなく、荷物は荷駄ではこばれた。江戸時代でさえ、東海道は車が往来しなかったのである。大名行列も大名は駕籠であり、家来は徒歩で、荷物は馬の背に載せてはこばれ、車は用いられなかった。日本人ほど車の要素のすくない交通史を持った民族は世界でもまれではないかとおもわれる。」(『街道をゆく 4』「洛北諸道」 司馬遼太郎/著 須田剋太/画 朝日新聞社 1974)

洛北、花背峠から美山荘あたり
僕は『街道をゆく』の挿絵の地をたどったことがある。
写真は、司馬遼太郎の車が舟のように揺れたという洛北、花背峠から美山荘あたり。
僕が行ったのは40年ほどあとで、奥深い印象の地ではあったが、ひどい悪路ではなくなっていた。
→[須田剋太の旅 桜の洛北、漱石の嵐山-「洛北諸道」と「嵯峨散歩」2]


日本とアメリカの道の違いは地形によるだろうか。
アメリカでは、大平原を西部へ馬で開拓していった。 人の助けをあてにしないで、自分で必死に処していかなくてはならない。 自動車の時代になっても、慣れた手つきで工具を扱い、エンジンの音やガソリンやオイルの匂いが似合うのは、そうした歴史の反映ではないか。
一方、日本は山のくに。
ふだんは平な土地に暮らしている感覚でいるが、たまに高い山に登ると、日本列島は遠くまで山が連なっているのが見とおせる。ごくごくわずかなへこみに街があるにすぎない。 車では移動しにくくて、馬や舟をたよったろう。
現代では自動車は日本の主要産業だが、個人が自分で油まみれになりながら車を整備して乗り続けるというような接し方は、今も一般的ではない。

□ 『ストレイト・ストーリー』とアーティスト・伊東孝志さんのこと

ストレイトが兄に会いに行くと言いだしたとき、同居する娘が「途中、デイモンかどこかで一泊しないといけないし...」と、とまどう。
快速で走る車があれば一泊くらいで行ける距離のよう。
ところが芝刈り機で出かけようとする老人を街の仲間が見つけて話しかけると、一緒に歩いていけるくらいにのろい。
目的地までまずまず近い街に着いたときの街の人との会話で、もう5週間も経過していることがわかる。
そこに親切な人がいて「車で送ってあげよう、半日の快適なドライブになることだし...」と申し出るが、老人は自分で成し遂げたいと、芝刈り機の旅を続ける。
ミシシッピ川に架かる橋をこえると、兄の家が近い。
バーに入って、長く絶っていたビールを1本だけ飲んで、バーテンダーに道をたずねる。

小さく質素な家に着いて兄の名を呼ぶと、兄が歩行器に助けられながら出てくる。
芝刈り機をしばらくじっと見ている。
「あれに乗っておれに会いに来たのか」と声がもれて、10年の距離が埋まる。

頑固な老兄弟も魅力的だが、弟が途上で出会う人たちもすてき。
老人が無茶だが深い思いの冒険をしていることを知ると、共感し敬意をいだく。

伊東孝志『場-山稜線・墨』
僕がこの映画を見たのは、親しくしているアーティスト、伊東孝志さんが、自分にとってのベスト3映画のひとつだといわれていたからだった。
日常や常識をこえていく冒険にシンクロする気持ちがあったろうかと思う。

 伊東孝志『場-山稜線・墨』

*『ストレイト・ストーリー』The Straight Story デヴィッド・リンチ監督 1999
*『the Straight Story ストレイト・ストーリー』村上龍/画 はまのゆか/画 集英社 2000