11 『海上の道』柳田国男-南の島から丸木舟で海に出る

鹿児島空港から種子島空港
種子島に行った。
鹿児島空港でプロペラ機に乗り換える。

種子島行きの飛行機内
中は左1席、右2席という変則的な座席配置だった。
40分で種子島空港に着く。

種子島宇宙センター
大型ロケットの打ち上げ基地、種子島宇宙センター。
宇宙科学技術館という宇宙開発の案内施設には開館中いつでも入れるが、そのほかに日に3回の施設見学ツアーがあり、予約しておいて参加した。

種子島 鉄砲伝来の地
種子島に16世紀にポルトガルから日本に鉄砲がつたわってきた。 鉄砲伝来の地付近が公園になっていて、石碑がたっている。
以後の歴史を大きく変えるモノが移動してきたところでもある。

種子島 鉄砲伝来の海岸
石碑がある公園の写真の右の柵から見おろすと、ずっと低いところに鉄砲を積んだ船が着いた海岸がある。

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種子島は僕の妻のルーツの地で、100年ほど前に、父方の祖父が種子島から上京し、東京都府中市に住んだ。その祖父は50年ほど前に、父は30年ほど前に亡くなり、それから妻の家族は種子島との接触がなくなっていた。
この旅には妻も同行し、戸籍から確認した祖父の旧住所をたずねてみると、親族が健在で歓迎された。
その親族から、妻の祖父は単身上京したのだが、さらに1つ上の世代は徳之島の人で、丸木舟で種子島に渡ってきたのだときかされた。これは妻も、今関東に住む祖父の子どもたち(妻にとっては叔母たち)も知らなかったことだった。
徳之島から丸木船で種子島にわたってきたとき、はじめに東岸に上陸したが、言葉が通じなくて追い払われた。 いったん海にでて、次に西岸に上陸すると、言葉をわかってくれる人がいて上陸できたという。
時期としては19世紀末か20世紀はじめだろうか。
柳田国男は『海上の道』で、日本人の起源として、稲作の技術をもった人が南から黒潮にのってやってきたという説をとなえた。時代ははるかに隔てているが、南から北へ海を移動するという点で、『海上の道』をしのばせ、その説の裏付け材料にもなりえそう。
妻やその子には、海の向こうに丸木舟でのりだした冒険者の血が流れているのかと、ちょっとうらやましいような気になった。

種子島開発総合センター鉄砲館の丸木舟
このあと西之表市立種子島開発総合センター鉄砲館に行くと丸木舟が展示されていた。
かつては漁業や、陸路の不便なところに行くのにつかわれたが、しだいに減り、1996年に最後の丸木舟が用を終えたという。

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種子島港から鹿児島港へ水中翼船
鹿児島に戻るには船に乗った。
高速の水中翼船は1:30で着く。
種子島にはいろいろな移動手段があった。