16 韓流ドラマ『トッケビ』-ソウルとケベック

2016年に放送された『トッケビ』は、韓流ドラマのなかでも別格といいたいほど存在感のあるものだった。
主要な登場人物は3組6人。

トッケビ(コン・ユ):高麗時代の武将。強いがそのために若い王からねたまれ、殺され、さらに神からの罰として不滅の命を生きる「トッケビ」になった。不滅から解放されるには胸に刺さった剣を抜かなくてはならないが、それができるのは「トッケビの花嫁」だけ。
ウンタク(キム・ゴウン):900年以上経った現代の女子高生。トッケビの花嫁。出生に神とトッケビがからんでいる。特殊能力があり、幽霊が見える。

死神(イ・ドンウク):この死神は人を死なせるのではなく、神の意志で死んだ人に「あなたは死にましたよ」と告げ、あの世に送り出す役。かつて大きな罪をおかした者は死神になり、こういう奉仕労働をいつか許されるまで続ける。
サニー(ユ・インナ):ウンタクのバイト先のチキン店の社長。クールなものいいだが、実は温情のひと。
死神とサニーはひかれあうが、現世ではかなわないこと。
二人とも高麗時代にトッケビと関わりがあった。

ユ・シンウ:大企業(家具会社?)の会長。かつてトッケビの死を見送った部下の子孫で、超長生きのトッケビを代々引き継いで現世的・経済的に支えている。
ユ・ドクファ(ユク・ソンジェ):コ・シンウ会長の孫。カードを無制限に使いたがる軽い若者。小遣い稼ぎしようとトッケビの家に死神を入居させたので、トッケビと死神が同居するようになり、のちにウンタクも一緒に住むようになる。

トッケビの超能力の1つとして、手近のドアから入って、好きなところのドアに出ることができる。ウンタクと出会ったあと、トッケビはウンタクといたソウルにある図書館内の1枚のドアを入り、カナダ・ケベックの通りにある家のドアから街に出る。するとウンタクも同じようにドアを通過してついてきた。ふつうの人にはそんなことはできなくて、ウンタクにも特殊な力があることをトッケビが知る。

ケベックの風景が美しい。 トッケビが武将だったころからの幾人かの仲間の墓が(なぜだったか)ケベックの川を見おろす丘の斜面にある。
ソウルの図書館から瞬間移動してきたこの日、トッケビは墓参りに来たのだった。
思いがけず外国の美しい街に来てしまったウンタクは、はしゃいで歩きまわり、トッケビはとまどいながら眺めているうち恋心が芽生えていく。
このあとも数回ケベックのシーンがある。長いドラマのうちでは、数回分をあわせてもとても短い時間なのだが、それぞれ物語の展開に重要なポイントで、とても印象に残る。
ケベックの丘からは、下にセント・ローレンス川。
僕がこれまでに太平洋を対岸まで越えたのは2度だけ、西海岸のロサンゼルスあたりと、東海岸のニューヨークに。 太平洋の向こう側はとても遠く、もう行くことはないと思っていたが、『トッケビ』を見てケベックだけ行けないものかと思うようになった。

ケベックだけでなく、ほかの街も自然も店の中も家の中も、映像がみごとに美しかった。
気持ちが高まるのにあわせてすっと流れてくるOSTもすてき。
剣が刺さったままのトッケビだの、死神だの、幽霊だの、不気味満載だが、映像と音楽が印象を明るくしている。

それにユーモアのセンスがきいている。
同居することになったトッケビと死神は気のきいたセリフで意地をはりあうし、トッケビはウンタクに、死神はサニーに連絡するためにスマホを手に入れて、たどたどしく使い始めるのなんかおかしい。
サニーの物言いもクールで独特。 チキン店で、客がいなくてふたりでいるときのサニーとウンタク。 サニーが「スルメを焼いて」と言い、ウンタクが、「ではお酒も?」とたずねると、サニーは 「私 お酒は飲まないの 深酒しちゃうから」とさらっと言う。

   ◇     ◇

『トッケビ』は荒唐無稽な話だが、人生の最後の移動についての思いが、ほぼ全編をとおして基調音のようにこめられている。
1つは後悔(とくに最期にあたっての)。
もう1つは先立つこと-後に残されること。

死神は死者を向こうに送り出すとき、茶を1杯いれてすすめる。
 現世の記憶を消すお茶です
 飲まなかったらどうなるんですか?
 あの世で後悔します 後悔は現世だけに


大小の後悔事項が数多い僕は、こんなお茶があるなら飲んだら解放されそうとふと思ったりするが、今のんだらただの物忘れか認知症か...

最期の移動は家族なり、友人なりの間で(ごくまれなケースをのぞいて)別々に起きる。
それでふつうには、先立つ人がいて、残される人がいる。
非業の死だとか、思いが叶わずに亡くなるとか、たっぷり未練が残りそうな最期もあるが、亡くなった人は亡くなってしまえばそれきり。
でもあとに残された人には、悲しみや欠落感や後悔など、さまざまな感情的課題がもたらされる。 (もちろん経済的課題もありうる。)
900年を越えて生きてきたトッケビは、幾度も幾度も親しい人を見送ってきた。 「不滅の命」が神からの喜ばしいプレゼントではなく、罰であるのは、そのためだろう。
ユ・シンウ会長が高齢で亡くなる。
楽しく遊ぶこときり考えていなかった孫のドクファは驚き、なにも孝行しないうちに逝かれてしまったと悲しみ、後悔する。
トッケビも、また一人親しい人を失ったことで悲しむが、ウンタクが慰める。
 残された人は 一生懸命生きないと
 時々泣いても また笑って たくましく生きる
 それが愛してくれた人への礼儀よ


これはドラマの3/4ほど経過したところででてくる言葉なのだが、最終話に別の死が起きる重要な場面で、この言葉がもう一度ウンタクの口から繰り返される。
先立つ人と残される人をめぐる長いドラマで、これが物語を書いた人が用意した心構えの言葉になる。

   ◇     ◇

このドラマで僕は初めて「トッケビ」という言葉を知った。
日本語ではふつう「鬼」という訳があてられるらしい。
でももう少し複合的な性格があって、日本でいえば「河童」とか「天狗」とかのように、超自然だけれど、こわいだけでなく、人間の暮らしに近い存在であるらしい。
トッケビ役のコン・ユが、ときおりコミカルな動きを見せるのは、韓国の人のそういうトッケビ感を反映させているのかもしれない。

トッケビの図書
近くの図書館で見ただけでも、トッケビ本がいくつかあった。 日本でもけっこう知られているようだ。
この写真にあるのは以下の4冊。 読んでみると、日本の昔話に登場して人間に関わってくるキツネやタヌキにも近い気がする。
『だまされたトッケビ 韓国の昔話』 神谷丹路/編・訳 福音館書店 1999
『さびしがりやのトッケビ』 ハン ビョンホ/作・絵 平凡社 2006
『おばけのトッケビ 韓国・朝鮮の昔話』 金森襄作/再話 福音館書店こどものとも世界昔ばなしの旅20 2005
『トッケビのこんぼう』 チョン チャジュン/文 平凡社 2003


   ◇     ◇

映像がきれいだし、セリフも活きてるし、いくつも印象に残るシーンがあるのだが、まず思い浮かぶのは、トッケビとウンタクの最初の出会い。 雨の日、傘を持たないウンタクは緑の服のフードで頭をおおっている。 傘を持ったダンディなトッケビとすれ違う。 すれ違うときを横から撮って、雨粒がゆっくり落ち、ウンタクが能面のような表情をして歩きすぎていく。
ラストシーンはケベックだった。
白い客船が泊まっているセント・ローレンス川を見おろす丘。
夕方、まだ明るいが、あちこちの灯りが灯りはじめている。
トッケビとウンタクにようやく穏やかなときが訪れる。