19 『春風と王さま』小川未明-旅の物語より庭の春風

たぶん小学生期の半ばころに小川未明の童話集を読んだ。
10編くらいあったように思うが、そのなかの1つ『春風と王さま』がずっと心に留まっている。
年老いて体が動きにくくなった王さまは、職務を息子にまかせた。 退屈なので毎日、家来におもしろい話をきかせるよう命じている。 家来にしてみれば、そういくつもおもしろい話があるはずもなく、困っていた。 そこへ不思議なおじいさんがあらわれた。 たくさんの国をめぐって、たくさんのことを見聞きしてきた。
「これはこれは、ありがたい王さま、私は、怖ろしい話、不思議な話、美しい話、悲しい話、おもしろい話、なんでもお話し申しあげるでありましょう。そして、泉の水のたえぬように、おそらく話の種子(たね)のつくることはありませぬ。」
そこで王さまに召されたが、そうはいっても話しているうちには尽きてくる。しかも王さまは物覚えがいいので、うっかり同じ話をすると、聞いたことがあるような、と返される。 おじいさんには、とうとう話の種がつきるときがきた。
ため息をついて城の外に出て空を眺めていると、春風が花の香を送ってきた。 かつて旅をしていたあるとき、高原に紫や白の花がいっぱいに咲いて、なんともいえぬいい香りを放っていたのを思い出した。それまで長い苦しい道を歩いてきた苦労を忘れ、行く手に美しい、明るい世界が開けているようだった。
おじいさんは王さまにも春風がはこんでくる花の香をかいでみるようにすすめて、この話はこんなふうに結ばれる。
 王さまは、さっそく、御殿の窓から、お顔を出されて、うららかに晴れた大空をごらんなさいました。やわらかな春風は、吹いて、吹いていました。 「おおそうじゃ、なんとなくなつかしい香(にお)いがする。私の頭は、重いものがとれたように軽くなった。いままで思い出したことのない子供の時分や、もっともっと遠い世界のことまでが心の目に写ってくるぞ。」  
 かんしゃくもちの王さまは、やさしい王さまとなられました。そののち、いろいろの花を御殿のお庭にお植えになって、きてさえずる鳥の声に耳を傾け、いい花の香りをかいで、のどかな日を送られました。もう、家来のいいかげんなつくり話をきこうとはなされませんでした。
 おじいさんは、お暇(いとま)をいただいて、ふたたび、あてない旅に出かけたのであります。

「やわらかな春風は、吹いて、吹いていました。」という文章が、なかでもしっかり記憶に刻まれている。

今もこの話は気にいっているが、おとなになって考えてみると、なかなかこの話は(あるいは「この話が好き」ということは)単純ではない。
人が生きるということは、あちらに行ったり、こちらに行ったりして起きる物語の連続で、「怖ろしい話、不思議な話、美しい話、悲しい話、おもしろい話」などいろいろあるのが人生だろう。
そよっと春風が庭に運んできた花の香を至上にしたら、人生の否定にならないだろうか?
まだほとんど物語を経験していないうちに、こんな話を記憶に刻んでしまう子どもってどうなんだろう?という気もする。

童話作家にとっても、これはずいぶんキケンな話ではないだろうか。 物語を否定したら作家の存在理由も否定していることになる。
小川未明は1882年新潟県上越市生まれ、1961年に杉並区高円寺で79歳で亡くなっている。
作家活動の初期には小説を書いていたが、1918年ころから童話が多くなり、1926年からは童話に専心した。
『春風と王さま』を書いたのは1931年で、ほぼ40年の童話作家キャリアのうちの半ばあたりになる。これまでに多数書いているが、このあとも多数書いた。書き尽くして枯れて筆をおこうとして書いたようなものではない。

でも物語の終わりのようにとらえるのは、読み方が違っているかもしれない。
この童話を最初に発表したのは、『国民新聞』の1月1日号。作家としては春を迎えるあたたかい気分を伝えたかったのではないか。
ただ穏やかに、安らかに、春風に吹かれていよう、という味わい方にひたることにしよう。

定本小川未明童話全集
これは僕が子どものころ読んだのではなく、その後に刊行された童話全集。
全16巻で、第7巻に『春風と王さま』、第14巻に小川未明の年譜がある。


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『春風と王さま』の全文を以下におく。

『春風と王さま』
 昔、あるところに強い王さまがありました。馬に乗って、戦場をかけめぐり、勇ましいかぎりをつくしましたが、だんだん年を取るにしたがって、体がきかなくなり、もう馬に乗って歩くこともできなくなりました。それで、位を皇子にゆずって、自分は、御殿の中にむなしく日を送られたのであります。
 王さまにとって、じっとしていることは、退屈でなりませんでした。家来を一人ずつ毎日、自分のかたわらに呼んで、なにか、退屈を忘れさせるような、おもしろい話をしてきかせるように命ぜられました。戦(いくさ)にかけては、いずれも劣らぬ勇士たちでありましたが、平常(ふだん)、世の中のことに気をつけていませんから、王さまを喜ばせるような話はなかなかなかったのです。
「やあ、これは、困ってしまった。」と、家来たちは、顔を見合わせて、ため息をつきました。
「今日は、おれの呼ばれる番だが、どんな話をしたらいいか迷っている。なにかおもしろい話があったらきかしてくれないか?」
「わしは、一つあるのだが、そのうち私の番にあたったときまで取っておかななければならぬ。」
 家来たちは、こんな話をしました。そして、話のなくなったときには、平常(ふだん)かんしゃくもちの王さまのことだから、
「そんな役に立たぬやつは、もう家来でない。さっさと、どこへでも去(い)ってしまえ。」と、いわれるにちがいない。あるいは虫のいどころが悪かったら、殺されぬともかぎらないと思いましたから、びくびくしていました。
 ちょうどそのとき、不思議なおじいさんが、あらわれました。おじいさんは、国という国を歩いてきましたので、いくら語っても語りきれないほどの、めずらしい話や、おもしろい話をもっていました。
「ああ、いいおじいさんがあらわれたものだ。」といって、家来たちは、さっそく、このおじいさんのことをほめたたえて、王さまに、ぜひお召しなさるようにおすすめしたのです。
 王さまは、そんな宿無しのじいさんは、お気にいらないようすでしたが、おもしろい話をかずかぎりなく知っているというので、つい家来の言葉に従って、お召しなされたのであります。
「これはこれは、ありがたい王さま、私は、怖ろしい話、不思議な話、美しい話、悲しい話、おもしろい話、なんでもお話し申しあげるでありましょう。そして、泉の水のたえぬように、おそらく話の種子(たね)のつくることはありませぬ。」と、おじいさんは、申しました。
「おまえは、どこの生まれのものだ。」と、王さまは白いあごひげの伸びた老人にたずねられました。
「私は、どこの生まれのものか、自分でも知りません。私を生んだ親の顔も、知りません。もとより、兄妹(きょうだい)もない、ひとりぼっちで、あちらへさまよい、こちらへさまよいして大きくなり、年を取ったものであります……。」と、おじいさんは、答えました。
「それにしては、おまえの顔に苦労というものがなさそうに見えるが……。」と、王さまは、それを不思議に思われました。
 そういわれると、おじいさんは、遠いところを思い出したように、かすかにうなずきました。それから、おじいさんは、毎日、毎日、王さまにお話をきかせたのであります。一度きいたおもしろい話は、そう忘れるものでないが、ことのほか王さまは、物覚えがよかったから、うっかりして、同じ話を二度しようものなら、
「はてな、その話は、いつか聞いたことがあるようだが……。」と仰せられました。
 おじいさんは、とうとう話の種子がつきて困るときがきました。
「もう、私は、なにもかもお話してしまった。」といって、ため息をつきました。おじいさんは、お城の外に出て、なつかしそうに、あちらの空を見ていました。このとき、春風が、どこからともなく、花の香(にお)いを送ってまいりました。
「あの山を越えてきたんだな。」と、遠方をながめました。おじいさんが、あてなく旅をしていたときのこと、高い山と山との間の高原に、紫や、白の花がいっぱいにさいて、なんともいえぬいい香いを放っていました。思わず立ち止まって、うっとりして、その香いにひたっていると、いままで、長い苦しい道を歩いてきたいっさいの思い出が、どこへとなくなく忘れられてしまって、行く手に美しい、明るい世界が開けているのを望みました。
「王さまも、この香いをおかぎなされたら、いままでのことを、みんなお忘れなさらぬものでもない。」と、おじいさんは、思いました。「徳の高い王さま、あなたは、人間の申しあげます話から、不思議や美しいことや、おもしろいことをお求めになりましても、けっして、ご満足あそばすことはありません。鳥や、花からこそ、もっとおもしろい、美しい話を聞くことができましょう。宿無しの私が、いつもにこにこしていると、いつか仰せられましたが、あの高い山の間で、いい花の香りをかいだときから、生まれ変わったような人間となりました。その花の香りを、いま春風の中にかぐことができます。」と、申しあげたのです。
 王さまは、さっそく、御殿の窓から、お顔を出されて、うららかに晴れた大空をごらんなさいました。やわらかな春風は、吹いて、吹いていました。 「おおそうじゃ、なんとなくなつかしい香いがする。私の頭は、重いものがとれたように軽くなった。いままで思い出したことのない子供の時分や、もっともっと遠い世界のことまでが心の目に写ってくるぞ。」
 かんしゃくもちの王さまは、やさしい王さまとなられました。そののち、いろいろの花を御殿のお庭にお植えになって、きてさえずる鳥の声に耳を傾け、いい花の香りをかいで、のどかな日を送られました。もう、家来のいいかげんなつくり話をきこうとはなされませんでした。
 おじいさんは、お暇(いとま)をいただいて、ふたたび、あてない旅に出かけたのであります。

 (「春風と王さま」小川未明 『定本小川未明童話全集7』講談社 1977)