旧北上川-1.聖ハリストス教会と水澤屋旅館

旧北上川.西内海橋
旧北上川の河口近くに中州がある。 18世紀に人工的に作られたもので、「中瀬」という。
僕はここに3度、2006年、2011年、2013年に、行った。
2011年は、7月初め、3/11の東日本大震災からまもないときだった。
石巻駅から市街を抜け、中瀬には西内海橋を越えて行く。 橋は通行可能ではあるけど、いたんでいた。
川は写真の左から右に流れて、2キロほど先が河口になる。
向こうに半球状の屋根が見えるのは石ノ森萬画館。
遠目には大丈夫そうだが、近くで見ると外装材が部分的に剥げていたり、荒れた跡がはっきり残っていた。 本体の構造そのものの安全もまだ確認されていなくて休館していた。

旧石巻ハリストス正教会教会堂 旧石巻ハリストス正教会教会堂 内部

中瀬をすすむと教会がある。
旧石巻ハリストス正教会教会堂で、明治時代に建ったギリシャ正教の教会。
もとは市街地にあり、1980年に中瀬に移築された。
簡素な木造の建築だが、骨格は壊れず、流されず、立っていた。(教会が歪んでいるのは広角で撮ったためで、垂直に立ってはいる。)
近づいてみると、凶暴な水に貫かれて、内部は、すかすかになっている。 それにしても、ほかの被害に比べて、この簡素な教会が立って残っているのは不思議に思う。
すぐ脇に、陸に運び上げられた船がまだ放置されたままになっていて、所有者は申し出るようにという趣旨の貼り紙がしてあった。
こちらからも石ノ森萬画館の半球状の屋根が見える。

石巻 水澤屋旅館の料理 石巻 水澤屋旅館の料理

2006年に来たとき、河口の西岸にある水澤屋旅館という宿に泊まった。 夕方5時半ころ着いて、食事を6時ころにとお願いしたら、間に合わないというので6時半にした。 ところがさらに遅れて、実際に食事の支度ができたのは7時近かった。
なるほど時間がかかるのも当然と感嘆するほどの、たいそうな料理だった。
さすが三陸の港町で、刺身の盛り合わせはサンマだのアワビだのウニだの、さまざま。 石巻は鯨の水揚げ港ということで、鯨まである。 それにまるごと1匹の鯛や蟹。 牡蠣の本場だから、牡蠣はさまざまな料理があったが、とくに牡蠣鍋のホクホクした歯ごたえがうまかった。
名だたる漁港のそばの宿だから、海の幸が豊富なのはありとして、さらに牛も豚も鶏もある。
予約したときに料金について行きちがいがあったのではないかと不安になるほどだったが、翌朝支払ったのは初めのつもりどおりの1万円ちょっとにわずかな酒代が加わっただけだった。
なにか夢のようなご馳走だった。

中瀬から橋を駅側に戻り、5年前(2006年)に泊まった宿に向かった。
南へ、海岸方向に向かいながら宿の場所を探していると、ほかにも街なかに船が転がっていた。
ビルとビルの間に自動車がはさまって浮いている。
ニューヨークのツイン・タワーに飛行機が突っ込んだ9.11のときは、現実が映画を超えてしまったと思った。 3.11のあとの街では現実がシュール・レアリスムの絵画を超えている。

石巻 水澤屋旅館
旅館の建物は、壁も屋根も、一見しっかり立っている。 でも横に回ると、調理場のドアが外れている。中をのぞくと、調理用の大きな重そうなテーブルが斜めにずれている。黒ずんだ泥のようなものが、部屋の床も、壁も、置かれたものも、すっかり覆っている。 短時間水が激しく流れ去ったというより、ずいぶん長い期間放置されたかのような印象を受ける荒れ方だった。
あのように豪華な食事は、ここで用意されていたのかと想像する。 たった1晩泊まった者にも、思い出があるところが圧倒的な力で破壊されている眺めは無惨に感じられる。ここを生活の場にしていた人の喪失感はどれほどのものだろうかと思う。
(このあと河口右岸にある日和山に行った→[旧北上川-2.日和山から])

(2011.7)

* 旧石巻ハリストス正教会は、同じ場所に復元され、2019年月から公開された。
水澤屋旅館はgoogleのストリートビューを見ると解体されたようだ。とても惜しい。