旧北上川-2.日和山から

東日本大震災後の2011年7月、仙台から石巻に向かうJRは不通で、仙台駅前のバス停から高速バスに乗った。 所要80分で800円。 ほぼ座席が埋まり、中には撮影機材を持って取材に行くらしい人たちもいた。 途中にいくつか瓦礫の堆積場所を見かけた。
石巻駅周辺は、建物の外観だけ見るかぎりでは、ところどころ傷んでいるくらいで、街並みはあり、被害はひどいほうではないように見えた。
南へ海岸方向に向かうと、日和山(ひよりやま)への上り坂になる。 7月はじめのことで、暑い。 石巻駅に着いてすぐ歩き始めてしまって、飲み物を用意しなかった。 駅付近にはいちおう元のように建物が並んでいるので、つい油断した。
かなりの距離を歩いていても、飲み物を売る店が営業していないし、自販機もまったくない。

旧北上川河口 東日本大震災のあと 日和山への坂道をあがって高台の端に行くと、石巻港と河口の風景が広がっているのが見えた。
北上川の河口付近はほとんど平面になっていて、ショックを受けた。
ここまでも津波による傷を見てはきたが、まだしも建物はあり、道と家並みの区別があった。 河口付近では、立体で残っているのは寺や病院など、いくつかの建物だけ、あとはほとんど平面になっている。
このほかに今直接には見えなくなっているが、たくさんの人の命が失われている。
河口めぐりをしていると、寂寞とした風景に出会うことがある。 川の終わりで海の始まりであるという、生と死の比喩ともいえるし、かなりシンとした気分になることが多い。 それにしてもこの河口の風景の厳しさは格別だ。
(写真の橋は、旧北上川のいちばん河口よりに架かる日和大橋。)

旧北上川 中瀬 東日本大震災のあと
わずかに上流にある中瀬の眺め。 さっきこのあたりを歩いてから来た。(→[旧北上川-1.聖ハリストス教会と水澤屋旅館])
日和山の上はかなりの人でにぎわっている。 石巻の観光ボランティアの人たちがテントをだして、冷たいお茶のサービスがあった。暑くて汗だくだったので、しみじみありがたい。
ボランティアの方が地図とてらしあわせながら、地理や歴史に加えて、津波の被害の様子も説明してくれる。それぞれにつらいことがおありだろうけれど、その明るさにすくわれる思いがする。
(写真の半球は石ノ森漫画館。写真の中心点あたりに旧石巻聖ハリストス正教会。)


かつての石巻港は米の積み出し港としてたくさんの千石船が出入りしてにぎわった。 日和山から天候や波を見、船の出入りを見た。
芭蕉の『奥の細道』には「数百の廻船入江につとひ 人家地をあらそひて竈(かまど)のけふり立つゝけたり」とある。
もっとあとの時代には宮沢賢治も訪れたことがある。1912年、盛岡中学4年だったとき、北上川を川蒸気船で下ってきて、ここから初めて海を見て感動している。
『街道をゆく』の旅で1985年に訪れた司馬遼太郎は、河口あたりを見下ろして「丘上から河川の蛇行をながめるというのは、思いの遠近がさまざまに重なるものである。」 と書いた。

石巻駅 サイボーグ003 この日和山は標高60.4m。
坂を下って駅方向に戻る。
津波は高台にまでは上がらず、道の両側に家々が並んでいる。 日差しのなかで庭で洗車している人をみかけたりして、一見のどか。 でも内部は揺れの被害があったろうし、低いところに出かけていた家族を亡くしたひともおありだろう。

駅前に石ノ森章太郎の漫画からサイボーグ003のフィギュアが立っている。 となりの貼り紙は代行バスの時刻表。
仙台にまたバスで戻った。

(2011.7)