女川-水がビルを転がす

女川河口
女川の河口は女川港で、女川町地域医療センターがある近くの高台から港方面をのぞむ。
女川は左から流れてきて、写真中央向こうの太平洋にでていく。
このあたりにおそらくあった軽い人家はすっかり流され、整地中の地面を工事の車が行き交うなかにビルがゴロンとある。
この写真のビルは「江島共済会館」という宿泊施設で、1980年代に建ったもの。 右に青い面が見えているのが屋上で、もとの位置から10メートル以上運ばれて横倒しになっている。
津波はこんなビルまで倒し、運ぶほどのエネルギーがある。

 

女川河口女川河口

これは「女川サプリメント」という看板が架かった薬品関係らしいビル。
中に赤い車をかかえたまま、倒れている。
右が上の階で、左にビルの底面が見えている。
「江島共済会館」と「女川サプリメント」は、その後解体され、もう1棟横倒しになっていた女川交番が震災遺構として保存されることになった。

女川河口
七七銀行(しちじゅうしち)女川支店で亡くなった行員をしのんで遺族がささげた花。
海岸から100メートルほどにあったこの支店では、2階の屋上に避難したが、20メートル近くの津波が襲い、12名が死亡・行方不明となった。 もっと高いところに避難していれば助かったのではと思えるから、遺族の方々のつらさはひとしおだろうと感じられる。

女川河口 女川原発の広告 女川の河口から1キロほど上流に女川町総合運動公園がある。 リアス地形で山が迫り平地が少ないところだから、ここにも仮設住宅がつくられた。 「女川町町民野球場仮設住宅」は建築家、坂茂氏の設計によるコンテナを重ねた住宅で、 2層3層に積み重ねることで土地を有効利用できるし、隣の物音や結露に悩まされることもないという。野球場のグランドに建てたので、うしろにすぐ青いスコアボードがあった。
運動公園では永住のための住宅も建設中で、工事用のフェンスに女川原発の広告が描かれている。
「明日のエネルギーを担う 原子の灯りのふるさと女川町 陸上競技場は昭和63~平成元年に電源立地促進対策交付金で整備された施設です。」とある。ここに住む人はこの前を毎日通ることになるが、どう受けとめているだろう。

女川河口 ホテル・エル・ファロ
総合運動公園の近くにあるエル・ファロというホテルに泊まった。
女川の谷間の造成地にあり、まだ固定した建築物は建てられないので、いろとりどりのトレーラーハウスをいくつも並べてホテルに作られた。
近くに作業員宿舎が数棟並んでいる。
ホテルの人の話では「初めは測量の人が来て、今は土木の人。このあとがようやく建設になる。」
トレーラハウスの中にはツインベッドがあり、バス、トイレにソファにテーブルもある。じゅうぶんにゆったりしたツイン・ルームにできている。

事前に予約しておいた夕食をレストランでとる。 「家庭料理みたいな簡単なものです」ということであまり期待していなかったのだが、温かく、おいしく、貧弱でなく、豪華すぎず、ひとり旅には理想的といっていいくらいの食事だった。
同じ時間のレストランで見かけたのは、中年男性3人組(きこえてくる話の様子では、しばしばあちこちに揃って旅行しているらしい)、中年女性3人組、中年夫婦1組(かなりの頻度で酒を追加注文している)だった。過酷なロケーションにあるのに、ふつうの観光客っぽい人がふつうに楽しそうに食事しているのが意外でもあり、ほっとする感じでもあった。
(追記:このホテルは2017年に女川駅近くに移転した。)

*このあと石巻市でも旧・雄勝町になる大原川に行った。

(2013.7)