関川-親しめる左岸

蔵cafe沙羅 中
関川の左岸の角に駐車場があり、車をいれた。
水着をつけた小さな子を連れた家族を見かけた。 防波堤の外側が砂浜で、そこで海水浴をしてきたらしい。
駐車場から内陸方向へ街並のなかに向かうと、すぐ喫茶店があり、入った。
「蔵cafe沙羅」という。
奥の席に腰かけると、縦長の窓の向こうに、今歩いてきた海からの道が見える。何となし眺めているうち、やがて窓に近いカウンター席にいた女性2人の客が出ていった。 店の人が「こちらに移りますか?」と声をかけてくれて、そうさせてもらった。
店の人によると、もとは石炭商の住まいだったのをカフェに改装したという。 見上げると高いところで梁が組まれていて、棟木に墨で文字が記されている。 なんと書いてあるかはわからなかった。
エビとブロッコリーのパスタを食べた。 今夜は海辺の宿を2食つきで予約してあり、海鮮料理だろうから、昼はこんなのがいいだろうかと思ったのだった。 パスタはおいしいし、杏仁豆腐のデザートとコーヒーがついて、正解だった。
200キロ以上を車でひとりで運転してきたが、ここでゆったりできた。

蔵cafe沙羅 外
カフェを出て、建物を振り返る。
右向こうに車を置いてきた駐車場があり、海がある。
海は見えないが、大きなあき空間があり、その下に海がある感じがする。

ライオン像のある館
ライオン像のある館:
カフェのすぐ近くに、旧直江津銀行の建物があって、公開されている。
明治期に創業の銀行で、大正期に解散後、海運業を営む人が現在地に移築して、社屋として使用していた。
1920年に移築したとき、その海運業の人・高橋達太が、建物の守り神として作らせたもの。
東京日本橋三越前のライオン像は、1914年日本橋三越本店開業のとき。
発案者は支配人の日比翁助で、古い呉服商から新しい百貨店へ転換するため欧米を視察し、ロンドンのトラファルガー広場で見かけた4頭の獅子像がモデルという。
ロンドン-日本橋-直江津の影響関係がしのばれる。

関川の河口
関川の河口、車を置いた左岸の船見公園から。

関川の左岸
左岸の防波堤の外側は砂浜。
防波堤の内側は船見公園。
そのさらに内陸側は市街地で、今日ランチにした蔵カフェなどがある。
直江津駅あたりまでが、今町といわれる古くから栄えた街で、雪国特有の雁木の通りがある。 そのへんは前に来たときに歩いていて、今度はそちらのほうまでは行かなかった。
( →[関川-直江津の遠い記憶])

関川の右岸
右岸は、江戸時代初期には福島城があった区域。
北は日本海、東は当時の保倉川、南には堀(現在の保倉川)、西は関川と、水に囲まれた場所だった。
その後、松平忠輝という人が福島城主となり、1614年に関川をさかのぼったところに高田城を築城し、福島城は廃された。
移転の理由は、水に囲まれた土地で水害が多かったためといわれるが、忠輝が「波の音で眠れない」と我がままを言ったからという説もある。話しとしてはワガママ説がおもしろいが、周囲にはメイワクなことではある。
今、右岸河口は、いくつかの大きな工場があってかなりの面積を占めていて、左岸から眺めてもそれらしい構造物が見える。
写真中央に細高い塔のような見えているのは佐渡汽船で、佐渡と結ぶフェリーがでている。


(2022.7)