水無川-火砕流が流れくだる

雲仙岳は1990年から噴火が続いた。
山の東斜面から有明海に流れる水無川では、1991年の火砕流はとくに激しく、河口から先まで大量の土砂が扇状に押し出した。

水無川の河口
その大量の土砂は、復興にあたり海岸を埋め立てる材料とされて、そこに島原復興アリーナと雲仙岳災害記念館が建てられた。(この写真の左にある)
水無川は、ふだん水がないが雨のときだけ流れる川で、普通名詞でもあり、固有名詞でもあって、全国にいくつもある。
この水無川は、僕が行ったときは雨模様の日で、いくらか水が流れていた。

水無川 雲仙岳災害記念館から島原復興アリーナ
雲仙岳災害記念館のなかから。
向こうに島原復興アリーナが見える。
これほどの大規模施設が建つほどの土地が生まれるほど、大量の土砂が流れた。
土砂は無人の土地に流れたわけではなく、被害も大きかった。

旧大野木場小学校被災校舎
水無川の河口から3キロほど上流近くに、小学校があった。
火砕流による熱風で、校舎内が焼かれてしまった。
「旧大野木場小学校被災校舎」として被災の状態で保存されている。
枠組みは残っていて、校舎の向こうの空が透けてみえる。 (後ろにのぞいているのは学校の裏山。そのさらに後ろに大きな普賢岳があるが、霧に隠れている。)

旧大野木場小学校被災校舎 内部
近づいてみると、木の床が焼失して、コンクリートの基礎がむき出しに並んでいる。
教室に設置されたテレビを支えていた鉄枠が残っているのも見える。
完全に焼失したのではなく痕跡が残っているだけ、かえっていたましい印象がある。

*雲仙岳を、海をはさんだ熊本県の白川河口から眺めたことがある。

(2014.3)