15 韓流ドラマ『私の人生の春の日』-ソウルと牛島(ウド)

朝鮮半島の南に済州島(チェジュド)がある。
韓流ドラマでは、『水曜午後3時30分』がそうだったように、登場人物間でちょっと距離をおく必要があるときなんかに、ひんぱんに(便利に)済州島に行く。
南にあって海に囲まれていてリゾート地でもあるから、息抜きの目的地だったり、憧れの地だったりすることもある。
韓国の国内航空路線図を見て驚いたのは、首都のソウル発着路線が(仁川インチョン、金浦キンポあわせて)8なのに、済州島発着路線は12もある。 (『地球の歩き方2018~19』ダイヤモンド・ビッグ社)
(→[14 韓流ドラマ『水曜午後3時30分』-慶州(キョンジュ)と済州島(チェジュド)]

済州島の東に牛島(ウド)という小さな島がある。
朝鮮半島が太陽、済州島が地球として、ウドは月のよう。
ソウル-済州島は飛行機で1時間5分ほど。済州島-ウドは船で15分。

『私の人生の春の日』(내 생애 봄날)はヒーローとヒロインが、ソウルとウドを往き来する。
ボミ(スヨン)は栄養士で心臓疾患があった。ウドの海で無くなった海女の心臓がソウルの病院に運ばれ、移植手術を受けてふつうの暮らしができるようになっている。
カン・ドンハ(カム・ウソン)は韓牛を生産する会社の経営者。(韓牛ハヌ 韓国の高級肉)
ボミの恋人・婚約者は医師のカン・ドンウク(イ・ジュニョク)で、カン・ドンハの弟。兄弟はウドの出身。

ボミは移植手術ですくってくれたことからドンウクを慕うようになった。
ところがボミとドンハが偶然出会ってしまい、ひかれあうようになる。
そのまま進めばドンハにすれば弟の恋人を奪うことになる。
ボミも悩むし、それぞれの家族の感情もあり、経済的事情も絡んでいる。
しかもボミに心臓を提供した海女は、ドンハの妻で、ドンハの誕生日においしい海産物を食べさせようと潜っていて、事故にあったのだった。 ボミがドンハを好きなのは、ドンハの妻の心臓が愛する人を記憶しているからか?ということが、全編をつらぬく1つのテーマになる。(ただしそれについての正解がドラマで示されるわけではない。)

ウドの海岸風景が美しい。 登場人物がみな上質な人たちなのも好感。やむなくつらい思いをさせることがあってもやさしさが元にあるからだったり、経済的・経営的対立があってもさらっと扱われて、ずるずる深入りしない。
ボミとドンハの恋は、まわり人々をとまどわせるが、ボミの友人とドンハの秘書がかわらずに支える。その2人も恋仲になるが、あたたかくユーモラスなやりとりがおかしい。
いくつか挿入されるOSTもすてきだった。

心臓移植は成功したと思われていたが、ボミの体が変調する。
まわりの人たちもボミとドンハの結びつきを認めるようになっていったが、ボミは最期を迎える入院をし、ドンハがつききりで看病する。
いよいよ別れのときがきたとき、ボミが「アンニョン」といい、ドンハも「アンニョン」とかえして、ふたりの物語が終わる。
あとでボミ役のスヨンが、別れのシーンの撮影では悲しい感情がふくらんできて、ドンハの目を見たら涙があふれてしまって演技できなくなる、違うところに目を向けて演じた-と話していた。
それほどせつないストーリーだった。

dvd『私の人生の春の日』 韓流ドラマを見るのは、たまにテレビ放送をのぞくほかは、ほとんどレンタルDVDなのだが、これはレンタルで見始めてすぐ、てもとに置きたいとBOXを買った。
このドラマでも印象に残る場面がいくつもあった。 その中の1つ、ボミが心臓移植の前も後も変わっていないことをいうために、自分が好きなものをあげていくシーンがある。
人に食事を作ってもらうのが好きです
雨の日の濡れた葉っぱのにおいも好き  朝起きてキッチンから聞こえる音も好き  バスの中で食べる焼き栗も好き
お餅にハチミツを付けて食べるのも好き  通った中学校の前にあるお店のトッポッキも好き
冬の朝 息が白くなるのも  古本のにおいも  しっとりしたたい焼きも  全部子供の頃から好きだった

もっと盛りあがるシーンがいくつもあるが、さりげなく穏やかにいうこのセリフもよかった。


     ◇     ◇

韓国語では、移動に際してふつうの別れのあいさつは2つあって
 안녕히 가세요(アンニョンヒ カセヨ)残る人が去る人に。
 안녕히 계세요(アンニョンヒ ケセヨ)去る人が残る人に。
韓国語でも日本語と同様に漢字由来の言葉が多くあり、それで日本語から類推・記憶しやすい。
「안녕히(アンニョンヒ)」は「安寧に」の意。
そのあとの、
 가세요(カセヨ)は、行ってください。
 계세요(ケセヨ)は、居てください。
2つの別れのあいさつは1音ちがいだが、言葉の意味がわかれば使い分けは難しくない。
ボミとドンハの別れはどちらも「アンニョン」だけで、さまざまな思いを重ねてきたふたりの最期のことばは、ごく短い。

韓国語の社会では、日常的に안녕히 가세요(アンニョンヒ カセヨ)と안녕히 계세요(アンニョンヒ ケセヨ)を数えきれないほどに言いあっている。
人生レベルでみれば、家族や友人、知人に、幾度か안녕히 가세요(アンニョンヒ カセヨ)と言ったあと、最後に一度だけ안녕히 계세요(アンニョンヒ ケセヨ)と言って終わる。
ここでころっと言葉がとぶが、フランス語だったらこういうことをC'est la vie.(セラヴィ これが人生だ)-という。

さらに思いつきでほかの言語を加えると、こんな漢詩と和文訳がある。
勧酒(于武陵)
 勧君金屈巵
 満酌不須辞
 花発多風雨
 人生足別離

酒をすすむ(書き下し文)
 君に勧む 金屈巵(きんくつし)
 満酌 辞するを須(もち)いず
 花発(ひら)けば 風雨多し
 人生 別離足る

(井伏鱒二の訳)
 コノサカヅキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガシテオクレ
 ハナニアラシノタトヘモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

     ◇     ◇

『私の人生の春の日』の物語も出演者もよかったし、牛島(ウド)の風景にもそそられた。
ウドに行くのに経由する済州島(チェジュド)は、僕がしばらく挿絵の地をたずねてきた『街道をゆく』の訪問地でもあり、あわせてぜひ行きたいと思っている。疫病の終息が待ち遠しい。