仁井田川-つながる3つの川(1)

仁井田川河口 なぎさ亭
いわき市の北部で仁井田川(にいだがわ)が太平洋に流れている。
朝のホテルと堤防と仁井田川河口。
写真の右上方がすぐ河口。
このホテルに泊まったのだが、もとは3階建ての割烹旅館で、東日本大震災の津波で洗われて鉄骨だけ残ったのをいかして、2階のビジネスホテルにして再開した。

仁井田川河口
夕暮れの仁井田川河口。
砂州で河口が閉塞している。
砂州が川の流れをすっかりとめてしまうことを「閉塞」、増水などにより砂州が途切れることを「フラッシュ」、人の意志で重機により砂州を壊すことを「開削」という。
閉塞していても水量が少なく、水はじっと静かに動かないまま。

仁井田川河口
橋の下まで行き、砂州をすすむ。
近づいてみると、とても上品な印象の砂だった。 茶褐色の落ち着いた色で、適度な大きさに粒がそろっていて、波が寄せるとき、引くときに、シュワシュワシュワっと心地よい音がする。

仁井田川河口のなぎさ亭 ロビー
なぎさ亭のロビー。
センスがすっきりして明るく、装飾が過剰でなく軽やかなのがすてき。 花が生けられ、今夜の献立が黒板に手書きされ、人を迎える心配りがあたたかい。
部屋も広く簡素で清潔。
夜、寝る前に窓をあけてみると、正面にオリオンの3つ星がたてに並んでいた。
そのあとよく眠れた。
夕も朝もおいしく、しかも高くなく、とても快適だった。

仁井田川河口の堤防となぎさ亭
ホテル裏の堤防を朝、散歩する人。
僕は2階の部屋に泊まった。
窓からは堤防の斜面だけが見えて、上の路面はぎりぎりのところで見えなかった。


朝ごはんのとき、ここの経営者、徳永真理子さんにたくさんのことをお聞きできた、そのいくつか。
「仁井田川の河口は砂でよくふさがる。 かつては壁土に使うのでここらの人が採取して売った。 今は壁に使われなくて採らないので、よけいに砂がたまりやすい。 川は砂州をこえて海に流れていく。

東日本大震災のとき、高校生が合宿で泊まっていて、そのときはマイクロバスで出ていた。 ホテルに戻らないように連絡しようとしたが、携帯がつながらないで困ったが、無事だった。
スタッフを避難させてから自分が最後にホテルを出た。 波といっしょになり、流されて松林の上のほうにつかまるが、また水に入ってしまう。とても寒かった。 それでも助かり、ホテルの客、働く人ともみな無事だった。

宿は鉄骨だけのこして壊れた。 かつては3階建てで、50畳の大広間で宴会があった。 昼が終わって、また夜もと、盛んだった。
震災後、やめようとしたが、多くの人から後押しされた。 学校の関係で縁のあった人が大勢いて、寄付もするからといわれたり。
3年経ってから再開に動き始め、2階のビジネスホテルにした。
紹介された設計士さんに設計してもらったが、私の思いもこめた。
たいへんだが、動き続けているからいい、とまったらまずい。

夫が釣りが好きで船を持っていた。 津波でさらわれ、2年たってアメリカに着いたと連絡があった。
引き取りはしなかった。

大震災のあと、海がふくらんだまま。 わたしらは見てわかる。」


明るく快活で陰を感じさせない口ぶりなのだが、大きな天災があり、人との別れがあり、営業の苦労があり、たいへんな話。それでも、家族やホテルの人や地域のひとをいかしながらともに乗り越えてきたというからっとした自負も感じられ、こんなふうに生きてもいけるよと励まされる思いすらした。

* いわき市北部で、仁井田川、夏井川、横川という3つの川がつながっている。
  →[夏井川-つながる3つの川(2)]
  →[横川-つながる3つの川(3)]

(2019.11)