信濃川-河口を横断するトンネルを歩く

信濃川河口 右岸の山の下みなとタワー
信濃川の河口は新潟市の中心部に近い。 河口付近も交通量が多いところで、河口にはトンネルが作られ、「新潟みなとトンネル」という。
河口両岸にトンネルの排気塔と、展望室をそなえたタワーがある。
これは右岸の山の下みなとタワー。

信濃川河口 左岸の入船みなとタワー
左岸の入船みなとタワーの、右岸からの遠望。

信濃川河口 新潟みなとトンネル
トンネルでは、中央に片側2車線ずつの車道があり、両側の歩道がはさんでいる。
歩道は自転車も通行でき、 車道とは壁で区切られていて排気ガスから守られている。
2002年に一部開通、2005年に全て通行できるようになった。

信濃川河口 新潟みなとトンネル
右岸の山の下みなとタワーの地下に降りると、歩道の右岸側先端。
トンネルを数年前に車で走り抜けたことがあるが、あっという間だった。 そのとき、どちら側だったか、歩道の先端部まで降りたきり、そこで引き返してしまい、歩いては横断しなかった。
悔いが残っていたのだが、ようやく歩く機会がきた。
歩いていく先に上り坂があるように見えるが、まず下り坂があって、上り坂に見えるところは実は水平。

信濃川河口 新潟みなとトンネル
トンネルの中間地点。
「沈埋4号函」とあるように、川の流路の下に8個の箱が埋められてトンネルを構成している。
1つの箱が長さ100m以上あり、8個連なってチューブになっている。
左右の傾斜部を含めたトンネルの全長は1,423mある。

信濃川河口 新潟みなとトンネル
上下左右を壁に囲われた空間を歩いて、信濃川の水面下の左岸のはじまで来た。
そこでこの案内図を見て、あれ?と思った。 前にみなとタワーに来たとき、地下横断トンネルを歩かなかったので、あらためて来たのだが、「憧れの現地に来た!」感がない。
信濃川の下を歩いたにしても、当然のことながら、まったく水の眺め、水の気配がない。 都内で地下鉄の連絡通路を歩いているのと同じような印象だった。
川の下を横断したと自分で認めるには、頭上に信濃川の流れがあると想像するしかない。
では、想像するだけなら、実際にここまで来ないで、200キロも離れた関東平野の自宅でしても同じではないか?
気がつくのが遅いことは僕にはよくあることだが、「またか!」という思いもした。

信濃川河口 左岸から河口先端
右岸の山の下みなとタワーの展望室からの眺め。
長い防波堤がのびている。

信濃川河口 ホテルオークラ新潟
日が暮れて、今夜の宿のホテルオークラ新潟へ。
信濃川の河畔にある。

信濃川河口 ホテルオークラ新潟から万代橋
ホテルオークラ新潟から信濃川と萬代橋(ばんだいばし)を見おろす。
河口を横断する道は、河口側から、新潟みなとトンネル、柳都大橋があり、萬代橋が3つ目。
橋を向こうへ行くと新潟駅にいたる。

信濃川には、この河口より手前に2つの分水路がある。
その1つの大河津分水が通水すると、そこから先の水量が減った。本流の河口部では川幅縮小工事が行われ、萬代橋は短縮して架け替えられた。 埋立てで土地が拡大し、万代シテイや新潟県庁舎など大規模建築が建てられた。
萬代橋は、その歴史をたどれば新潟市の近・現代史の全体像がほぼ明らかになるほどの歴史を負い、新潟市の重要なシンボルになっている。

新潟限定ビール 風味爽快ニシテ
ホテルの部屋で川を眺めながら、新潟限定ビール「風味爽快ニシテ」を味わう。
開拓使麦酒醸造所で初めてビールを完成させた中川清兵衛は現・長岡市、サッポロビールのもとの札幌麦酒会社を創業した大倉喜八郎は現・新発田市と、新潟は(酒がおいしいが)ビールにもゆかりが深いところ。
このビールは、前に目前の新潟港と佐渡を往復するフェリーのなかでも飲んだことがある。ラーメンと一緒で、海ではとてもいい組み合わせでうまかった。(→[須田剋太の旅/ふたたび佐渡へ])


*信濃川の3つの河口
→[信濃川-河口を横断するトンネルを歩く](このページ)
→[関屋分水路-信濃川から海への近道]
→[大河津分水-地図も歴史も書きかえる大改修が進行中]

(2020.10)