大河津分水-地図も歴史も書きかえる大改修が進行中

信濃川は新潟市で日本海に流れこんでいるが、洪水がおきやすかったので、河口から50kmほどの地点で流れを分けて9kmほどの水路をつくり、日本海への近道となる大河津分水がつくられた。
江戸時代から地域住民が請願してきたが、ようやく着工したのは明治3年(1880年)、いったん完成しかけた堰の崩壊、改修などを繰り返して、ようやく現在に続く安定的は通水ができたのは1931年だった。
信濃川から大河津分水が分かれる堰があるのは旧・分水町で、2006年に合併して燕市になっている。
大河津分水の河口は、旧寺泊町にあり、今は合併して長岡市になっている。

sowa美術館の跡
新潟市から出て、角田岬を経て、大河津分水の右岸方向に向かって国道402号線を走っていくと、河口が近くなったあたりの右側に広い駐車場と白い壁の建物があった。 ふと気になって車をとめてみると、建機レンタルの会社、アクティオ大河津営業所なのだが、白い壁に「SOWA美術館」という文字が薄く残っているのが見えた。
この美術館には開館まもない1993年に来たことがある。 トリックアートの作品の展示館で、人物が描かれた額から手足がとびだしたりしていた。
白い壁にもトリックアートが描かれていたのか、すっかり白く塗られると建物全体がうしろには実体がない映画のセットの書き割りのように感じられる。
(あとで調べてみると2017年に閉館していた。)

大河津分水の河口
隣にレストランがあり、駐車場のはしまで行って見おろすと、大河津分水の左岸の先端がのぞめた。
なにか工事が進行中のよう。

大河津分水
大河津分水のいちばん河口に近い橋は野積橋で、そのたもとこに簡素な建物があり、「大河津分水改修事業 にとこみえーる館」とあって、改修工事について説明する施設のようで、入ってみた。
実施期間:2015-2032年
課題:
・洪水処理能力の低下(流下能力の不足)
・第二床固の老朽化による河床低下で右岸に地すべり発生
工事内容:
・河口左岸の山地を削り水路を広げる(+川幅が広がるので野積橋を掛け替える)
・第二床固の改築 大河津分水は流速を速めるために河口部の傾斜をきつく、川幅を狭くつくられた。 (分流点付近では約720m、河口付近では約180 m)。 ただそのために川床が削られることになり、地すべりが起きたり、橋などの構造物の安定が損なわれる。 それで鋼殻ケーソン(鋼製の函)を川底に設置する「床固」(とこがため)ということをして、川底が低下しないよう安定させる。
右岸で地すべりが数回起きているが、それで左岸を削るのはなぜか、ききもらしてしまった。

大河津分水
にとこみえーる館の裏の斜面に、工事用の足場材で組んだ階段があって上がる。 工事見学用の通路が作られていて、河口に向かって歩いていく。

大河津分水
河口に近づく。
野積橋の向こうに日本海。

大河津分水
すぐ目の前では、新しい第二床固の工事が進んでいる。 (「にとこみえーる館」という妙な名は、「二床」が見えるからなのだった。)
向こうの丘の高いところを工事用の車が往き来している。 あんな高いところから削り取っていくのかと感嘆した。
川幅180mを280mまで広げる大工事で、地形がかわり、地図もかきなおされることになるだろう。

とはいえ、もともと信濃川はスケールが大きい川で、これまでも上流から運ばれた土砂で分水路の河口は両岸で500m以上拡大し、そこに国道や海水浴場や公園ができ、今もさらに拡大を続けているという。
一方で新潟市街に向かう信濃川本流は水量が減ったので、河口付近では埋立てで土地が拡大し、万代シテイや新潟県庁舎など大規模建築が建てられた。
信濃川をはじめ新潟ではいくつも地図をかきかえるほどの河川や湿地の改修が行われてきた。どの川も人の暮らしに深い関わりがあるものだけれど、大規模でダイナミックなことでは新潟の海岸地帯は格別と思える。

*信濃川の3つの河口
→[信濃川-河口を横断するトンネルを歩く]
→[関屋分水路-信濃川から海への近道]
→[大河津分水-地図も歴史も書きかえる大改修が進行中](このページ)

(2020.10)